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2005年12月16日 (金)

みなさん、ありがとうございます

ここ数回のブログの記事が私事なのにも関わらず、多くのみなさまにお心を届けて頂いたことに、深く感謝しております。
そのお気持ちに応えるには、私自身が元気を取り戻し、義父が教えてくれたことを未来に繋げていくことだと思っております。
ただ今日まで、今の思いを気持ちのままに書かせて頂くことをお許しください。
お時間があったら、お付き合い下さい。

義父は100年以上続く薬屋の9代目として生まれ、自分のことはさておき、地域の人たちの健康と幸せを見守ることに徹した生き方をした人でした。老舗の薬屋という重荷を子どもには負わせないようにと、義父の代で会社組織にし、子ども達にはそれぞれ好きな道を進ませていたことも、わたしが尊敬する大きな理由の一つでした。また学生の頃に大病し、死を覚悟した経験を持ち、その後も体の不調とともに生きていたので、わたしのことを深く理解してくれる人でもありました。趣味といった趣味ももたず、ひたすら誠実に仕事をし、家族の笑顔を何よりの宝にするような人でした。

そんな義父が手術の前の入院で珍しく欲しがったものがありました。それが新井満が訳した『千の風になって』『青春とは』という二つの詩集でした。父が寝ている横でそっとその本を見たとき、稲妻のようなものが胸の中に走ったのが、いま思うと胸騒ぎだったのだと思います。

『千の風になって』は作者不明の詩です。『私のお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています』そんな内容でした。
『なんで!?おとうさん、なんでこれが欲しかったの?』とそのとき、問いただして義父の心のうちを吐き出させておけば、こんな結果にならなかったのかとも思いました。でも、何事も自分で決めて、決して動じず、心静かに受け止めてきた義父のこと、まさか、思いつめてのことではないと自分に言い聞かせていました。

もうひとつの『青春とは』は『真の青春とは若き肉体の中にではなく、若き精神の中にこそある』といった内容の詩でした。わたしが義父にこの本の内容を聞いたとき、義父は一言、『青春とは実践・・・だな』と教えてくれました。あとで読み返してみるとその言葉は見当たりませんでした。『青春とは実践』これは義父のオリジナルの言葉でした。それを知ったとき、やはり義父は生きたかったのだと、生きるために勇気を持って手術に望んだのだと思いました。

亡くなった今、本当に義父は千の風になってわたしたちの周りにいることを感じています。
前よりもずっと近く感じ、ずっと多く義父に呼びかけています。そして答えてくれています。さみしい、いまはひたすらさみしいです。でも、この涙の暖かさはきっと、これからの私たちの未来に力をくれるものだと思っています。そしていつか天上で会った時、『よくやったなあ』と義父に言われるような人生をつくっていきたいと思っています。
ご拝読ありがとうございました。

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コメント

ぢゅんさん。
ぢゅんさんが感じているように、
きっとお義父様は千の風になって
ぢゅんさんたちのそばにいると思います。
どんなに遠く離れても、体を離れても、
心はそばにあると思います。
お義父様のご冥福をお祈りいたします。

お心の整理をしながらの文章。大切に拝読させていただきました。
今自分の抱えている家族のことがオーバーラップされ、私も大事に最後の時を一緒に送ってあげたいと強く思いました。
私もこの水曜日に初めて「千の風になって」に出会いました。私たち家族もきっとこの詩に支えられる、そんな気がしました。また、亡くなった友人家族にもこの詩を届けようと思っていたところでした。
とりとめもなく自分のことを書きこんでしまいました。ごめんなさい。
ぢゅんさんの素直なお気持ちがとても心に染みこみました。

こんばんは、ぢゅんさん。
始まりがあれば、終わりがあるように、
いつか別れがくるのですね。
でも、たとえ別れても、呼べば心に答えてくれる。

ぢゅんさんなら、養父の志を受け継いで、
たくさんの素晴らしいものを生み出していけると、
そう思います。

ご岳父様のご冥福をお祈り申し上げます。
あまりにお哀しみが深くてはお体に障りますゆえ、どうぞお気をとりなおされますよう…、あまりお力落としのございませんよう…、お祈り申し上げます。

さて、潤子様のHPでマクロビなるものを知り、つい先日、そのレストランで食事をし、友人とささやかな学習会を始めたばかりの私ですが、小さな疑問を感じております(このタイミングでこんな質問、申し訳ございませんが、お返事はいつでも結構です。お智慧拝借させて頂けましたら幸甚です)

祖母・母…と先祖から受け継がれてきた、その家ならではの家庭料理とマクロビとの両立…、どの程度まで可能なものでしょう。マクロビは確かに素晴らしい。でもそれを全部実践していくのは(特に高齢者は)キツイかな…(おふくろの味をほぼ全否定してしまうのでは?)と危惧をおぼえてしまうのです。が、一方では(例えば末期ガン克服などの理由で)藁にもすがりたい思いもある。遠く離れた郷里の両親にもぜひ取り組ませたい場合など、どう実践させていくのが賢明なのでしょうね?こんな疑問、私だけでしょうか?潤子様なりのマクロビの取り入れ方のヒントをご教示いただけましたら幸いです。

お手数おかけして申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

うまく言葉になりませんが、一言だけ。
亡き人は天へ還ったのであって、無くなったのではないと思います。
別れではありません。また、より一層の愛という形で、傍にいてくれます。
形=肉体は有限でも、思い=愛は無限です。
大丈夫ですよ。大丈夫。

メイコさん、ありがとうございます。
写真を見るとどうしてもまだ涙が出てしまいます。
あの優しい笑顔がもう見れないかと思うとたまらなく寂しいです。でも、形は変えても義父の存在を身近に感じられる今のほうが幸せかなと日に日に思えるようになっています。
心を大切に過ごしていきたいと思います。
ありがとうございました。

ゆきうささん、ありがとうございます。
ブログ、拝見させていただきました。同じ頃、千の風になってに出会っていたのですね。
看病していた時間はわたしにとって、義父を独り占めしたような幸せな時間でした。その時間を作ってくれたことを大事にしていきたいと思っています。
心のつながりは永遠です。本当にそう感じています。ゆきうささんもどうぞ幸せな時間をいっぱい過ごしてください。それがお互いにとってなにより力になるのだと思います。
ゆきうささん、ありがとうございました。

papaさん、ありがとうございます。
大切な人との別れは身を引き裂かれるほど辛いですね。でもこれから少しずつ出会ったことを喜べるように、していきたいと思っています。義父が教えてくれたことを私らしく、これからの人生に生かしていけたらと思っています。
ありがとうございました。

enmiさん、ありがとうございます。
わたしが落ち込んでばかりでは、義父も心配でしょうがないですよね。ゆっくりと元気を取り戻したいと思います。

マクロビへのご質問を頂き、ありがとうございます。わたしもenmiさんと同じ疑問を持ちましたし、まだ答えという答えはみつかっていないのがいまのわたしです。
それでも、マクロビの精神は好きだし、玄米もおいしいしということで、自分なりに続けています。
ふるさとの味ってお砂糖を使うことが多かったり、その土地の生き物をメインにしたりしますよね。それがとってもおいしかったり、その土地で暮らす人の理にかなっていたりします。だからわたしは大切に受け継いでいきたいと思っています。そのとき、たとえば、お砂糖は白砂糖じゃなく、黒砂糖に変えてみるなど、調味料を工夫したり、できるだけ作っている過程が見えるところから材料を仕入れることを考えたりしています。
マクロビの最終目的は世界平和だと思います。だとしたら、自分にも、自然にも優しい方法を選んでいくのが第一歩かなと思っています。
わたしが人にマクロビを勧めるときは、『これおいしいよ』って勧めます。理論や体への影響はその後、その人が興味を持ったときに本を勧めます。
玄米も自分で三ヶ月試してどんな影響があったか確認してから、実家に勧めました。いまでは実家でも玄米食べているようです。
マクロビは何の目的で行うかということが大きな注目点になるようです。食生活を見直そうと思う人と、病気を治そうと思う人では、進め方が違うそうです。
だから、個人個人で自分は何の目的でマクロビをするのかという意識が必要になってくると思います。そこが難しいところですよね。それは親子でも違うし、夫婦でも違うし。
うちの夫婦で大まかにいうと、わたしは薬害を排出することを第一目的としてマクロビを進めています。夫はダイエット(適正な体重、体格)にするために進めています。だから微妙に食べ物の選択が変わってきます。
それでも成果が現れたときはともに喜べます。ようは同じものを食べること(食べないこと)が重要なのではなくて、同じ精神(幸せを願うとか)で過ごすことが大切なのだと思うのです。
なんだか、enmiさんのお答えになっていないような気もしますが、またご質問がありましたらどうぞいつでもご連絡下さい。一緒に考えたいと思います。

ご参考に、わたしが好きなマクロビの考え方をされる方たちのブログをご覧下さい。MY BLOGリストの方たちです。
ありがとうございました。

fujitamaさん、ありがとうございます。
愛は無限、それをいまとても感じています。
そのことを身をもって教えてもらっただけでも、幸せだと思っています。
お葬式の前に、白装束を着せ、わらじを履かせる旅立ちの儀式がありました。それをみたとき、義父はきえてなくなるのではなく、旅立つのだと、また会えるのだと強く思えた気がします。
fujitamaさん、ありがとうございました。

ぢゅん様

ご多忙中、また、このような深い御悲しみの中にありますときにご丁寧なコメントをありがとうございました。

おっしゃられましたとおり、いきなりマクロビ生活というのは難しいものですよね。ぢゅん様も少しずつ取り入れていらっしゃるとのこと、私なりに納得いたしました。

私事になりますが、身近なところにも若年性糖尿病やらメニエール病やらガンやら難しい病気と長らく闘っている家族・親族が多くおります。そのような姿をみるにつけても、どうしたら少しでも力になれるだろうか?食事療法はどうだろうか?などといてもたってもいられない焦燥感に駆られたり、ぢゅん様のように強く明るくたくましく生きていらっしゃる方のお姿を垣間見ては勇気づけられ、人生とは何かということについて考えさせられたりしております。本当に人生とは、命とは、何なのでしょうね?今日この日を与えられた恵みをだいじにしていきたいものだと思わずにはいられません。

あらためまして、このたびはご丁寧な回答を頂戴いたしまして恐縮至極に存じます。お世話様でございました。ぢゅん様ご一家の皆様にとりまして素晴らしいホリデーシーズンとなりますようお祈り申し上げます。

ぢゅんさん、お辛いでしょうに・・・。
素敵なお義父さまのお話、教えて下さってありがとうございます。

命の長さは自分で選ぶ事は出来ません。
でも、
懸命に生きられたお義父さま。
そのお姿は、きっとぢゅんさんはじめご家族の誇りでしょう。

千の風にのって。
これからも、いつもいつも、お義父さまはぢゅんさんやご家族の側に温かい風を運んで下さる事でしょう。

でもね、ぢゅんさん、辛い時は泣いてもいいのですよ。
涙が流してくれるモノもありますから。
ご無理し過ぎず、どうぞ今はお心のままに・・・。

私は、ぢゅんドラちゃんの願いを込めた記事の事も、黄金色に輝いたいちょう並木の美しさも・・・。
そして、お義父さまの事も。

忘れません。

ぢゅんさんの、心を込めて書かれた文章で、お義父さまにはお会いした事ない私にも、千の風にのって温かい風を運んで下さったような、そんな気持ちになりました。
素晴らしい出会いをありがとうございます。

(*ぢゅんさん、今はゆっくりお休み下さい。どうぞお返事お気遣いなく!
いつもいつも気持ちをお送りしています。無理しちゃダメですよ。)

enmiさん、お返事頂き、ありがとうございます
わたしも病状の波がある病気ですので、そんなとき、そばにいてしっかり見ていてくれたり、すっとサポートをしてくれたりする家族や友人に生かされていると思っています。
enmiさんのお気持ちは、きっと薬より何より、病を抱えていらっしゃる方の力になるとおもいます。
わたしはよく周りの人に「同情はいらないから、理解して」と言います。生意気ですよね(笑)。でも理解してくれることほど、力強いサポートはないのです。理解してくれる人の言葉は、言葉だけでもすごい威力を発揮してくれるのです。
enmiさんの周りの方々の健康をお祈りしています。
またいつでもブログに遊びに来てくださるとうれしいです!

emiさん、お体大丈夫ですか?
いつも気にかけて頂いて、ありがとうございます。
わたしにとって、義父の存在は大きな大きなものでした。
でもそれは今でも変わらないです。
もう少し時間が経ったら、もっとじょうずに(泣かずに)思い出して、表現して、人に伝えていけるかなと思っています。
今日もわたしの周りに『風』が吹いた瞬間がありました。
だいじょうぶです。
emiさん、暖かいお言葉、ありがとうございました。

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