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2008年7月 9日 (水)

生き抜こう(追記あり)

『行ってきます!』と言っておいて何なのですが^^;、準備が思いのほかスムースに終わったので、もう一つ記事を書いておこうと思います。

昨日、ドラマがありました。
『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった~カウラ捕虜収容所からの脱走~』
タイトルの長さに、そしてわが家のアイドル洋ちゃんが出るということに惹かれて、珍しく早く帰ってきたオットと一緒にみました。

映画を見るときはとにかく終わるまで無言で見て、その後感想を言ったりしますね。
でも昨日のドラマは、途中で『ぢゅんだったらどうする?』『腹立つね~!こいつ』『高校のときさ・・・』とみている間中、心にわきあがる思いをお互い口にしていました。

なんというか、現実に起こっていた話であるということが、そしてそれはたった60数年前の話だということが、ずしりときた気がします。登場人物の言動のひとつひとつが、自分のことと重なったり、相反したり・・・。ほんとにおじいちゃんの話を聞いている気がしました。

おじいちゃんというと、わたしの祖父はどちらも戦争に行っています。
そしてどちらのおじいちゃんも戦争の話を聞くと、とても真剣に多くを語ってくれました。それだけ、語りたいことがあったのだと思います。

母方の祖父は中国ハルピンで大学の教授をしていて、赤紙が届き戦地に行きました。異国の地で残された家族に危害が加えられないように、大学に出勤する姿で何食わぬ顔で家を出たそうです。もしかしたらもう二度と会えないかもしれない、出征の日に。
そして現地に着き、いざ出撃の前の晩、おじいちゃんはしょうゆを大量に飲んで、わざと高熱を出し、戦いの場に行かなかったそうです。
おじいちゃんは生物学の先生でした。毎日、牛や馬の出産や病に立会い、命の尊さを生徒に教えていました。そんな人だったから、自分の命を粗末にすることも、他人の命を奪うことも考えられなかったんだと思います。

また父方の祖父は軍では位が高かったそうです。わたしにとっては田んぼや畑でにこにこ仕事している心底優しい姿しか思い浮かばないおじいちゃん。でも、戦地の記憶があったんだと、改めて思いました。おじいちゃんのお葬式の日、戦時中の話をしてくれた人がいたそうです。『○○さん(おじいちゃん)は殴る蹴るが当たり前だった軍隊の中で、絶対暴力を振るわず、同僚が部下を殴っているのを見ると“その辺でやめとかんの(博多弁です)”』と止めていたと。

わたしはおじいちゃんたちの話を聞いて、何を思ったか。
それはひたすら感謝でした。
あのときのおじいちゃんたちの選択が、厳しい中での究極の選択がなければいまのわたしはいなかったと思うのです。
道徳なんて、常識なんて、国の方針なんて、その時々で変わります。
でも“命を大事にする”という思いは、究極の真実なのではないかなと思うんです。
どんな状況であれ、どんな場面であれ、“命を大事にする”という選択が、未来を創るのだと。

だからわたしたちにいまできることは、生きよう、生き抜こう!ということ。
授かったこの体で、この心で、この魂の使命をしっかり果たしていこうということ。
誰の命も、何の命も、大事に扱おうということ。
いま生きていることに、どれだけ多くのエネルギーが注ぎ込まれていることか、感じながら生きましょう。
そして、この体を使いきって、この心を動かしきって、この魂を満足させて、人生を全うしましょう。

なんだか部屋の気温が2度ほど上がりそうなテンションになってしまいましたが、どうしても熱く語りたかったのでした。
ご拝読ありがとうございました!

※母方のおじいちゃんのエピソードがわたしの記憶違いでした。詳しくはsenaさんのコメントをお読み下さい。おじいちゃんが命を大切にする人だったこと、そしておしょうゆのエピソードを尊敬の意を込めて伝えてくれたことで、わたしの記憶の中で結びついていたのかもしれません。誤ったことを書いてしまってごめんなさい。
でもおじいちゃんの戦争反対の意思は私の中に強く受け継がれています。
じちゃま、ありがとね。

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コメント

私は今日、ここに来てよかったと思います。
ぢゅんさん、ありがとう!!
生き抜こう ね!!

私もドラマ見ました。たったひとり×を書く勇気が感動でした。 それ間違っていない?○を書くと死ぬんだよ、いいのか?と最初に言ってた兵隊もいましたね。あのなんともイヤな上下関係を保ち続けた人たちも、別の時代に生きていたらもっと違う生き方ができたのでしょうか?半分は時代の教育のせいもあるとおもいますよ。
 おじいちゃんのエピソードはひとつ間違っています。
お醤油を飲んだのは友達です。その時、周りの人たちは、じろうさんに言ったように、卑怯なヤツ と言ったのでしょうか? おじいちゃんは足をジープに轢かれ骨折して病院に居る間に、同じ隊の戦友の船が撃沈され全員亡くなったそうです。だから、おじいちゃんには戦友といえる人がひとりもいませんでした。それより印象深い話があります。戦地から
ボロボロの革靴を妻に送り届け、それを受け取ったおばあちゃんはナゼ?と靴を分解して調べたら底から「この戦争は負ける。一日も早く日本へ帰れ」というメモが出てきたそうです。そのお蔭で満州引揚げの苦労に巻き込まれずに帰国できたと聞いています。兵隊として働いていた人たちの中にも冷静にその状況を見ていた人は多かったかもしれません。

fantaさん

コメント、ありがとうございました。
おじいちゃんのエピソード、間違いがありました。ごめんなさい。

でもおじいちゃんのように、生きること、命を大切にすることに、全力を尽くした人があの時代にもいっぱいいたんだということがわかりました。

そのおかげでいま、わたしたちは大地に立っているんですよね。

生き抜きましょう!わたしたちも。
fantaさん、ありがとうございました!

senaさん

おじいちゃんのエピソード、ありがとね。
わたしたちには想像を絶する過酷な状況の中で、しっかり生を見つめていた行動が、あまりに強烈に印象に残っていたので、全部おじいちゃんの話だと思ってた。
でもいまここでみんなに知ってもらう機会が出来てよかったと思っています。

じちゃまはいつもまっすぐものを見ていた人だと思います。いま会えるならもっといろんな話できたかもね。
わたしも魂になったとき、いっぱい話しができるよう、生き抜こうと思います。

私はそのドラマを見なかったのですが、
最近よく思うのは、殴る蹴るが当たり前だった軍隊の人たちも本当は好きでそういうことしていたんじゃなかったような気がするんですよ。死人は何も語りませんが…。再放送したらこのドラマは絶対見るつもりです。じゅんさんご紹介ありがとう!

文明開花以来、西洋の文明に直面しちゃい、ちっぽけな島国だった日本は未来への不安がおそらく半端じゃなかった気がします。そして、その危機に備え食料を備蓄することを日本人ならではのDNAをもの凄く強く突き動かし、悲しい争いが怒った気がします。(日本人の体は飢餓に強い体質だそうですが、歴史をさかのぼると食糧備蓄の意識がもの凄い高いことがわかります。戦争は燃料・領土・イデオロギー等が原因といわれますが、根本は食料ですよねー)

そういえば、
祖父は体が弱かったので赤紙がきませんでしたが、
彼は満州鉄道の仕事をしていて、私の父はハルピンで生まれたんですよー。母は樺太で生てますー。

祖父一家は当時とてもいい暮らしをしていたようで、使用人の中国人が何人かいたそう。とても温厚でマルチリンガルな祖父はたくさんの中国人の男子・女子から自分を雇ってくれないかとラブコールをうけたのだとかそうです。(それゆえスパイだと思われ大変な目にあったこともあるそうです。当時珍しい180センチの長身だった祖父はロシア人によく間違えられたそう…)
当時の使用人のうちの一人だった方が日中の国交が正常化したこともあり、どこで知ったのか亡くなった祖父を尋ねて来てくれたこともあったのでした。
思うに、いつも温厚にみんなと心を通じあわそうとすれば戦争なんておこらないような気がしますね…。もう祖父が死んで大分たちますが、生前の祖父の人柄は、今も私に多くのことを学ばせてくれることが多いですね。。。

BR_GIRLさん

祖父の時代、戦争を体験した時代の環境は私たちには想像を絶するほど肉体的にも、精神的にも厳しい時代だったのですよね。

それを思うと生き延びるだけでも大変だっただろう中、石を貫いて生きることはほんとに大変だったと思います。そのころの話をわたしたちに受け継いでくれることは、たとえ想像の範囲だとしてもわたしたちに学びをくれますね。

貴重なお話をありがとうございました!

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