重なる、カサナル
今日はお一日。そして新月。そしてわたしははじめて秋田に来た日。
いろんな想いが重なる日でした。
今日は朝からオットの車に便乗して、広島原爆展を見に行ってきました。
九州で生まれ育った私にはヒロシマ・ナガサキの出来事は小さな頃から身近に感じていました。
でも大人になって触れる原爆の記憶には、やはり子どもの頃感じていたものとは違う感情が生まれました。
会場に、おじいちゃんがお孫さんと一緒に訪れている場面に出会いました。
おじいちゃんは言葉をひとつひとつ選びながら、小さなお孫さんに写真の説明をしていました。
おじいちゃんの手がお孫さんの肩にしっかりと置かれていました。
“伝えなければ”という思いと、“小さな子に伝える重さ”とを感じながら語っているその背中に、涙しそうになりました。
わたしたちの年代ですら信じられないような事実を目の前にして、小さな彼らは何を思ったでしょう。
“動員学徒”として借り出されていた幼い子ども達は、親元から離れたところで被爆しました。その遺品は親達が必死になって瓦礫の中から探し出したものでした。なかには朝、お母さんに作ってもらったお弁当をだきかかえるようにして亡くなっていた子もいたそうです。
戦争は悲劇しか生みません。
そのことはしっかり伝えていきたいと思いました。
コメント
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今夜(8/2)、戦争体験者の胸の内を明かしたビデオを見て来ました。
「フィリピンと日本を結ぶ ビデオメッセージ・プロジェクト上映会」
http://bridgeforpeace.jp/
(↑若者たちが頑張っているんですね)
切なかったです。
ほんと戦争は悲劇しか生みませんね。
終戦の8月、平和への思いをかみしめました・・・
投稿: ふさこ | 2008年8月 2日 (土) 23:19
ふさこさん
上記のHP、拝見してきました。
わたしたちが引き継がなければ、生の声はもう聞こえなくなってしまうんですよね。
痛感しました。
各地で上映会がされているようですね。
なにかできないか考えてみたいと思いました。
ふさこさん、ありがとうございました!
投稿: ぢゅん | 2008年8月 3日 (日) 09:55