「信頼して」 by からだ
昨日はなんだか頭の中でずっとこの言葉が響いてました。
「信頼して」
わたしは今まで“信頼される”ということにとても神経を使っていた気がします。
セラピストという仕事を選んでからは特に、わたしの発する言葉が、そして作り出すものが、相手の信頼を得るものであるように、誠実に誠実に対応しようと心がけてきました。
でも昨日の言葉は「信頼されよう」ではなく、「信頼して」でした。
誰を?何を?と一日中考えていたら夜に答えが出ました。
答えは「自分の体」でした。
それはわたしの体からの切実な叫びのような声だったことに気づいたんです。
わたしは心のどこかで自分の肉体をあきらめていたのだとそのとき思いました。
「病だから」「進行性だから」「痛みがあるから」しょうがないと。
こんなことをいうと「何言ってんじゃい!」と怒りそうな人の顔がいっぱい浮かぶんですが(^^;)。
もし、このままひざが動かなくなっても・・・、もしこのまま腕が上がらなくても・・・、もしこのまま一生床に座れなくても・・・、頭と心がしっかりしてればいいか・・・と、これ以上傷つかないようにするために守っていた、いやあきらめていた。
そのことで実は体が傷ついていたんだなと思いました。
そりゃそうですよね、「どうせできないんだからいいよ、そのままで」という一言を向けられて傷つかないわけはないです。
わたしはその言葉をずっと自分の体に浴びせていたのだと気づきました。
それから体に平謝り!
「ごめん!!そうだよね、まだまだがんばれるのに。いや充分、いまでも必死でがんばってくれてるのに。ごめんごめん!」って。
「信頼します!あなたを信頼します!」って。
そしたら急に体のエネルギーがドシッと中心に寄った気がして、今までなんとなく自分の体であってそうじゃないような感覚だったのが、指の先までしっかり血が通っている感覚になりました。
地に足が着いたというグラウンディングの本当の感覚を味わえた瞬間でした。
まだまだまだまだ学ぶことってあるんですよね。
楽に生きたい・・・と何度も思ったけど、重い扉ほど開けたときの景色はきれいかもしれない。
重い扉だから一緒に押してくれる友がいっぱい現れるのかもしれない。
そう思います。
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コメント
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なるほど、だからかもしれないけど、
今日のぢゅんさんは、何だかこの間会ったときよりも軽やかな感じがしたよ♪
だから、確実に変っていると思います!
でも、無理にがんばることはないと思う。
カラダを信頼して一歩一歩ね。
投稿: my | 2009年2月 3日 (火) 16:40
これはあたしに向けてのメッセージだっていう気がしました。
あたし自身を信頼していないあたし・・・(-_-;)
そんな気持ちは以前より手放したつもりでいたけれど,つもりだけだなぁと。
よいメッセージをありがとう(^O^)/
扉は皆で開けると軽くなるよん♪
だから大丈夫,もうじききっと開けられる。
ね(*^_^*)
投稿: うな | 2009年2月 3日 (火) 18:37
myさん
ほんとですか、ありがとうございます!
オットといつも「MYさんの言葉は励みになるね」って言っているんです。
変化をみつめてくれているから♪
有難く思っています。
無理せず、できることを喜びながら一歩一歩進みたいと思います!
ありがとうございました!
投稿: ぢゅん | 2009年2月 3日 (火) 20:49
うなさん
コンフォートゾーンも、今回のことも、私自身の殻がとてもとても厚かったことを知らせてくれました。
学びのときはふとやってきますね
うなさん、いつもありがとう!
扉が開いたときは宴会しましょう(笑)!
投稿: ぢゅん | 2009年2月 3日 (火) 20:52
どうも信頼する、という言葉はここのところ
キーワードになってる気がしますね(^^)
ちょうど昨日読んだ「音の神秘」という本にも
自分に(心のなかで)なげかける言葉には強い作用があるとかかれていましたっけ・・
信頼するというパワーについても
そして
自分がやりたい事をすることこそ、
ほんとうに力を得る事だとも
かいてあったような氣がします。
自己を信じるという事
自己を癒すという事
自己を、受け入れるという事
自己受容している姿こそ、
無為でありながら、
最大限に癒す力をもつと思いました。
投稿: fanta | 2009年2月 3日 (火) 21:28
「セラピストって何だろう」
このことを最近考えるようになりました。
そこにこのぢゅんさんの言葉。
私の中で言葉になっていなかったものが形になった気がします。ありがとう♪
そして、自分を信頼すること。
今年の私の目標は「実践あるのみ!」なので(笑)
ある意味、コンフォートゾーンを突き抜けなきゃなんないですね。
「自分を大切にして」っていうのが、年末からのキーワードらしくて、
ミニコンサルに来てくださった方たちに話していたのだけれど、
自分にも当てはまりますね。
投稿: robizo | 2009年2月 4日 (水) 00:37
ズシン、と響きました。
私は私の体に胡座をかいている…心のことばかりにとらわれて、体はあって当たり前動いて当たり前、全然もっとやれるって信頼してなかったです。いつも一歩手前で諦めていた…
私にも出来るかもしれない。
今、これかもしれない、と思えていることに飛び込んでみたいです。
グラウディングの感覚、いつか私も味わいたい。ぢゅんさん、ありがとうございます。
投稿: mizutamanao | 2009年2月 4日 (水) 09:07
fantaさん
自分を信じることが一番難しかったように思います。
どこかで信じきれないところがあったり、ブレーキかけたり、過小評価になったり。
自分と向き合うことって難しいですね。
それでもこうやってときどき気づきがあるので、初心に戻ることができます。
からだに「ごめん」って言った瞬間、ほわんと暖かくなった気がして、あ~お返事してくれた!と思いました
投稿: ぢゅん | 2009年2月 4日 (水) 12:44
robizoさん
あ~、そういっていただけるとうれしいです。
セラピストの仕事をし始めたときは、自分がどう見られるかということをとても気にしてたのですが、「いまできる全力を誠実に」と思ったときから変わった気がします。
クライアントさんへの言葉がそのときの自分に向けられる言葉っていうこともありますよね。
それが“タイミング”であり、“フィーリング”なのかもしれませんね。
“実践あるのみ!”いいですね!
やっていこう!(笑)
投稿: ぢゅん | 2009年2月 4日 (水) 12:49
mizutamanaoさん
体ってほんとにだまって動いてくれていますよね。
心臓なんかほんとに意識してないのに、休まずに。
それを感謝できないでいました。
いまあることに、感謝しなければですよね。
あれからわたしは「君にはまだまだやってもらうことがあるんだ、よろしく頼むよ!」と言っています
せっかく人間に生まれて、体も充分動いているのに、心でストップかけるのはもったいないですもんね。
小さなことでもはじめてみると流れに乗るかもしれません
投稿: ぢゅん | 2009年2月 4日 (水) 12:54
ぢゅんさんは薬やめる決心をしたのは、
ずっと自分の体を信じてきたからできたんだよー。
だから、大丈夫さ。
ただ、眼をつぶってただけだよ、たぶん。
身体とぢゅんさんの意識が
ちゃんと手がつながってたから、
薬を手離せたんだよ。
眼を開いたら核心できて、
私は身体をとても愛していて
信じますよって言葉にできたんじゃないかな。
なんかね、
身体を信じるって癒しとかそういう言葉を超えちゃう気がする。これでもかって酷使しても、
傷つけちゃうような意識や言葉を
むけても動けるからだって
なんて優しいやつなんだーって思うよー。
地球も然りだね…。
生きてることって有難しだね。。。
いい春がきたねー☆
投稿: BR_GIRL | 2009年2月 6日 (金) 11:38
BR_GIRLちゃん
ありがと
そうか、そうだね、そうなんだね、きっと。
またひとつ扉が開いた気がします。
体や地球のようにとことん優しいやつになりたいね。
そして感謝し続けたいね。
いつも気づきをありがとう!
投稿: ぢゅん | 2009年2月 6日 (金) 18:22