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2010年4月23日 (金)

いまの見解 長くなります

福岡に来て9ヶ月が終わろうとしています。
いまだ松葉杖が手放せず、実家でお世話になっている身です。

秋田を出るときに受けた診察では
内科・・・リウマチの再燃
整形外科・・・股関節の微細骨折 でした。
この時点で全然見解が違うので対応も変わってくるし、二つの見解が自分の体の様子と異なっているのも勘でわかっていました。

福岡で新たに検査を受け
内科・・・リウマチ症状は落ち着いている、止まっている
整形外科・・・骨の異常は無い、骨粗しょう症もみられない
と診断を受けました。
安心はしたものの、体は動かず、動かすと激痛があるのも変わりません。

なぜなんだ?なにが原因?脳の損傷?神経の新しい病気?と悩み悩んだ8ヶ月。
4月になってひとつの可能性が見えてきました。

それは“薬害”。
今まで10数年、体に入れてきた薬の副作用だということです。

いま通っているオステオパシー(整体のようなものです)の先生が4ヶ月わたしの体を診てきて行き着いた結論です。
また同時期に別の病院の医師からも同じ見解を聞きました。

オスの先生いわく、筋萎縮性・・・や神経性・・・という病であったら、筋だけではなく筋肉が硬直するそうです。
でもわたしの場合、スパゲッティでいうアルデンテのように、芯の筋だけが硬直しまわりの筋肉は柔らかいままだとのこと。
これは薬害以外は考えられないとのことでした。

それからわたしもネットで調べたら、同じような症状を治している医師のHPにたどり着きました。
この副作用がでる薬は痛み止め、炎症止め、睡眠導入剤などが書かれていました。
痛み止め、炎症止めはリウマチの診断を受けた19歳のときから飲み続けてきた薬です。
自律神経免疫療法に出会って、2年前からやっと手放すことができていますが、10年以上飲み続けてきました。
その副作用がいま出ている、というのがいまのところ辿り着いた見解です。

リウマチと診断を下した医師もそれを受け継いできた10人近くの医師たちも、一人として副作用の話はしませんでした。
10数年前はわかっていなかったことかもしれません。
人によるのかもしれません。
わたしが勉強不足と言われればそうかもしれません。
だから恨み言は言いません。

ただ、いま、そしてこれから、自分には薬が必要だと感じたら、その前に10年後のことを考えてみてください。
10年後元気で笑って暮らせる選択かどうか、いまの苦痛だけを取り除く安易な決定ではないか、考えてみてください。

いまわたしは原因がわかったことで希望が見えています。
やるべきことが見えてきました。
10数年溜めてきた薬害を体の外に出すには時間と努力が果てしなくかかるでしょう。
それでも100%サポートしてくれる家族と、信頼できるプロ集団に支えられていることで、不可能はないと思えます。

この見解が正しいかどうかはわかりません。
誰にでも当てはまることではないかもしれません。
それでも、ブログに書こうと思ったのは、違う状況、環境の悩みでも、追求する気持ちがあれば納得できる結論にたどり着けるということを伝えたかったからです。
そして納得できる結論にたどり着ければ、行動が起せます。

八方塞で、明日のことも想像が出来ない状況にいても、一筋の光は存在する。
それをみつけましょう。
苦しいと下を向いてしまっては見えてこないけど、でも上を向いたら涙ににじんだ目に光が揺れるかもしれません。

わたしは今回のことで自分の弱さを知りました。
そしてその弱さをまだ克服できていません。
体の回復はこの弱さを克服した先にしかないだろうと思っています。
昔、気功の先生に言われました。
“すべてを自分のせいにしてごらん。そしたら結果も自分で出せるよ”と。

わたし、結果、出してみせますね。
一緒にがんばりましょう。



2010年4月19日 (月)

すっきり!

昨日、久しぶりに髪を切りに行きました♪
もうすっきり!

近くの美容院に「車椅子のままでもできますか?」と電話したら「いいですよ~!」とあっさり言われたので行ってみました。
この数ヶ月は普通の美容院に行く体力も、行ってからの体の動きも自信がなかったのですが、とりあえず車椅子に長時間座ってがまんできるくらいの痛みにはなったのだなと思います。

髪を切ってもらう1時間の間、ずっとスタイリストさんの結婚相談にのっていました(笑)。
カウンセリングはどんな状況でもできるんですね^^。
久しぶりに人と話す楽しさを感じました。

「できるだけ短く!」とお願いしたのはわたしですが、いまだに鏡に映るたびにびっくりしていますhappy02
オットは「ミニアッコ(和田アッコならぬ)」と呼んでいます。

なにはともあれ、ひとつずつハードルをクリアしていますscissors

※結局、車椅子は業者からレンタルしています。手放すことが決まったときから数回転んでしまったので、安全第一で行くことにしました。できるだけ使わずに、でも使うときには楽しんで!と思っています。

2010年4月15日 (木)

あえて言います

先日オットが、ある本が欲しくて数件の本屋さんに問い合わせたそうです。
そして、大手Jに電話したときのこと。

オット  「○○、ありますか?」
店員1 「担当部署に変わります。」
数分待たされる・・・
店員2 「はい?」
オット 「○○、ありますか?(部署が変わったとき、引継ぎ無しだったのでいちから説明)」
店員2 「お待ちください。」
数分待たされる、パート2・・・
店員2 「上巻ですか?下巻ですか?」
オット 「上巻です」
店員2 「上巻はないですね~」
オット 「ならいいです。」

店員2 「でも!下巻ならありますよ!(きっとドヤ顔。自慢げ)」
オット 「(唖然)・・・いいです!(電話切る)」

ということがあったらしいです。
新刊の下巻から読むかい!!
十数分待たせた挙句の答えがそれか!!
と聞いてる私ものけぞりました。

ん~~~、大丈夫か?日本の未来は?
相手が何を望んでいるのか読み取れない想像力の欠如、幼稚な仕事の進め方、接客以前の問題で、仕事をする年齢になってもこの程度のコミュニケーションスキルしか身につけていない生き方ってどうよ!と思います。

ここで一句。

~ 下巻から 勧めるオマエが 読んでみろ ~

最近、街で気づいたけしからんことは即刻、手を打つことにしています。
あくまで愛のムチです。
みんなで住みよい未来を作りましょうhappy01

2010年4月 8日 (木)

愛のかたち

先日、お義母さんから「懐かしいのでてきたよ」と、オットに封筒が送られてきました。
中身はオットが小学校三年生のときに書いた作文の文集。
オットはその文集を作った記憶はまったくないそうです。
「なんかはずかしくて」となかなか開こうとしないので、わたしが先に読ませてもらいました。

すると立派な表紙にオットの絵と名前が。
「うんうん、かわいいね~、小学生の字だ」
そして表紙をめくると1ページ目にお義父さんの字で目次が書かれていました。
パラパラとめくるとお義父さんのきれいな字で丁寧にページが打ってあります。

これはオットが3年生のときに学校で書いた作文を全部コピーして改めて編集した、お義父さん自作の文集だったんです。
もうそれがわかった時点でわたしは字が読めなくなるくらい号泣。

義父は私と一緒で大学生のとき、難病が発病し療養のため7年かかって大学を卒業したそうです。一度は死を覚悟したと聞きました。結婚して子どもが生まれるという未来も一度はあきらめたかもしれません。それでも義母と出会い、二人の子どもが産まれました。

この文集は義父の人生の喜びが形になったものなのだと感じました。

「あとがきにかえて」と題して、小学校三年生のオットへ宛てた義父の手紙が添えられていました。
~後から読み直した時、3年生のときにあそこに行ったな、あんな本を読んだなと思い返してほしい。そして努力をして達成した自分を思い出して頑張ってほしい。~そんな気持ちが書かれていました。

裏表紙には
○年○月○日発行
文   本人(オットの名前)
カット 妹(オットの妹の名前)
編集 父(オットの父の名前)
製本 母(オットの母の名前)

と義父のきれいな字で家族全員の名前が刻まれていました。

ページを読み進めるごとに当時のオットと義父の様子が目の前に広がり、胸が熱くなりました。
この文集を作ってくれたお義父さん、ありがとう。
送ってくれたお義母さん、ありがとう。
30年近くも大事に持っていてくれたおばあちゃん、ありがとう。

この愛のかたちを受け継いでいけるといいなと思いました。

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