『遺体』読了
ノンフィクション作家石井光太の『遺体~震災、津波の果てに』読み終わりました。
読み終わってからも、そしていまこうしてブログの更新の為ページを開いてからも、言葉が出てこない。
心や頭にいっぱい渦巻く感情の中から、どれをどのように言葉として表現したら適切なのか、わからないでいます。
それでも、この本があることを知ってほしかった。この本の中の事実に衝撃を受けた後、これが事実の“一部”であって、この何倍もの“事実”があったことに気づかされる。そしてその事実に対して、自分に何ができるのか突きつけられる。非常に苦しい本です。
震災後ずっと、ある人のブログでみかけた“温度差”という言葉が頭から離れません。
震災に対しての気持ちには、ひとそれぞれ温度差があると。
温度差を埋めたい反面、「わからない」と言ってほしいと、その人は言っていました。
「その気持ち、わかるよ」と軽々しく言ってほしくないと。
この本を読んでわたしはひとつの覚悟をしました。
自分はわからない側の人間だということを認識しようと。
今まで「映像見て、傷ついたよ」とか、「友人がいるよ」とか、「物資や支援金、送ったよ」とか、遠いところにいることに負い目を感じて、被災地に“すがっていた”気がする。それらは全部、自分を慰めるための言い訳だった気がする。
だけどこれからは「そんなにも辛い状況で、そんなにも辛い気持ちのとき、私は何もできなかった。けど、いま私にできることはないかな」と言える自分になりたいと思います。
この本のページを読み進めるたびに、潮のにおいや、涙の熱さや、手先が凍るような外気が伝わってきて、テレビからは感じられなかった事実を知った。震災から一年半、この本は自分の覚悟を支えてくれる本になった。
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