パーコーメンの味
先日、NHKの『サラメシ』という番組を見ていると
「え!?これあの人じゃない!?」という人物が画面に現れた。
胸がドキドキした。
あ、いや、初恋の人とかそんなロマンチックなドキドキではなく、どちらかというと懺悔のような気持ちに近いドキドキ。
結局、それは別人だったのだけど、30年前に出会ったその人のことを今の今まで思い出しもしなかった自分の冷たさを見せつけられた気がした。
大学生の時、東京から仙台の実家に高速バスで帰ったことがあった。
その時、隣の席に座ったのは初老の男性だった。
もう引退したんだ、と言っていたので60歳は過ぎていたのだろう。
日本を気の向くままに旅していると言っていた。
先に話しかけてきたのはじいちゃんで(今思うと60歳なんてじいちゃんじゃないけど)、なぜか私の話ぶりが気に入ったらしく、仙台についても話が止まらずご飯をごちそうになった。
実家に帰りその話をすると「じゃあ、明日はうちでご飯でも」ってことになり、次の日はうちで肉じゃがを食べていった。
自分のことはあまり話さない人だった。
家族はいないような雰囲気だった。
その後も日本の各地からお土産のようなものが実家に何度か届き、東京に寄ったときはわたしにご飯の誘いがあった。
苦学生ってわけではないけど、ホテルでご飯なんてないことだったから、じいちゃんとのランチをわりと楽しく過ごしていた。
ある日、じいちゃんから「東京に来た、飯行こう」と連絡があった。
その日、わたしはテストがあり、朝から大学に行く日だったので軽い気持ちで「今日はだめだ」と言った。
一瞬、間があったような気がする。じいちゃんは「そうか・・・。」とだけ言って電話を切った。
じいちゃんからの連絡はそれきりだった。
気にはなったが携帯もない時代で、日本中歩いているから家はないとか言って、連絡先を教えてくれない人だったので、その人のことはそのまま大学時代の思い出となってしまった。
先日、サラメシを見たとき、パーコーメンが画面に映った。
わたしがじいちゃんに食べさせてもらったもののひとつがパーコーメンだった。
強引な人だったから、「何食べたい?」なんか聞かれたことなくて、「ここはこれがおいしいから食うぞ」と言って、名前からは想像できない得体のしれないものが届くのを不安な気持ちで待っていたのを思い出した。
パーコーメン、ご存知ですか?
ラーメンにね、とんかつみたいなものが乗ってるの。
当時はそのビジュアルにびっくりして、味なんか全然覚えてない。
でも、完食した私を満足そうに見てたじいちゃんの笑顔は覚えてるからおいしかったんだと思う。
たった一度の断りの返事で心を閉ざしてしまうほど、じいちゃんは孤独な人だったのかな。
強引さは、さみしさの裏返しだったのかな。
人生ちょっと生きてきていま、少しだけじいちゃんの気持ちが見えた気がします。
パーコーメンは人生でその一度だけだったけど、きっとこれからパーコーメンを思い出すとき、わたしは人との縁を充分に大事にしなかったしょっぱい味を思い出すでしょう。
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